ヒロシマ・長崎 平和への誓い・8月15日不戦の誓い

新着情報 2018.8.8

目良誠二郎さんFBより


新着情報 2018.8.10
NYでは言いづらくても…長崎で本音発信
 国連事務総長
国連事務総長あいさつ(和訳全文)
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核と人類取材センター・田井中雅人
2018年8月9日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASL887W14L88TIPE03N.html?iref=sptop_8_02

 「核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいる。2017年には1兆7千億ドル以上のお金が武器や軍隊のために使われた。これは冷戦終了後、最高の水準だ。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたる」 
 「核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任がある
 国連事務総長として初めて被爆地・長崎の平和祈念式典に参列したグテーレス氏の演説は、名指しは避けながらも、国連加盟国の大半が賛同した核兵器禁止条約に背を向けて「使える核」の開発をめざすトランプ米政権に向けた強い抗議のメッセージを込めた。米国から国連への「圧力」も強まるなか、米ニューヨークの国連本部では言いにくいことを、長崎から世界に発信したようにも見える。
 「核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止している。多くの国が昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示した」
 核大国・米ロの二国間や既存の核不拡散条約(NPT)体制による核軍縮ペースの遅さが条約の誕生につながったと指摘した。ただ、演説で「核兵器禁止条約」に触れるのには、かなりの勇気と熟慮が必要だったのではないだろうか。
 昨年7月に193の国連加盟国の6割以上にあたる122カ国の賛成で採択された核禁条約は、前文に「ヒバクシャ」と盛り込んだ。国連本部での9月20日の署名式典でグテーレス氏は「広島と長崎の勇敢な被爆者は、核兵器の壊滅的な影響を思い出させ続ける。彼らの証言は、感動と、条約交渉に道徳的な力を与えた」と演説。その日のうちに50カ国が署名した。
 しかし、署名国は1年弱で10カ国しか増えていない。批准も発効要件の50カ国を下回る14カ国にとどまる。背景に、核保有国側の抵抗があるとみられる。
 昨年12月、核禁条約を推進した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞授賞式に、核保有国・米英仏の駐ノルウェー大使が異例の欠席。授賞式で「核兵器は必要悪でなく絶対悪。広島・長崎への原爆使用は戦争犯罪」と訴えた広島の被爆者サーロー節子さんの演説は、米国ではほとんど報じられなかった。
 今春、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれたNPT再検討会議の準備委員会では、核禁条約を議題とするセッションやサイドイベントは開かれなかった。「NPTは核禁条約を議論する場ではない」(ウッド米軍縮大使)との「働きかけ」が効いたとみられる。
 国連と米国の関係もブッシュ政権の再来のような「冷戦」モードに入っている。クリントン政権末期の2000年、NPT再検討会議の最終文書で米国など核保有国5カ国は「核兵器廃絶の明確な約束」をした。だが、翌年の米同時多発テロを受けて「単独行動主義」に転じたブッシュ政権は「明確な約束」をほごにした。多国間主義から背を向け、国連決議なしで泥沼のイラク戦争に突入した。
 今、「米国第一」を掲げるトランプ政権は、オバマ前政権の「核なき世界」をめざす理念を放棄し、今年2月に発表した「核戦略見直し(NPR)」で爆発力を抑えた「使える核兵器」の開発を進める方針転換を打ち出した。オバマ政権が進めたイラン核合意からの離脱も表明し、緊張が高まっている。
 分担率が22%と最大の貢献国である米国など81カ国が分担金未払いで、国連はかつてない財政危機に陥っている。米国のNPRや分担金未払いについて、グテーレス氏は9日の記者会見で「米国の決定は米国の決定だ。国連は国連として、できることをやっていく」と苦渋をにじませた。
 演説ではさらに、5月にグテーレス氏が発表した包括的な「軍縮アジェンダ」にも触れた。その核心は、かつてポルトガル首相や国連難民高等弁務官として東ティモールなどの紛争解決や世界各地の難民支援に取り組んだ人道主義にある。
 「私の軍縮アジェンダは、核兵器による人類滅亡のリスクを減らし、あらゆる紛争を予防し、武器の拡散や使用が一般市民にもたらす苦痛を削減するために、現在の世界で実現可能な様々な具体的な行動を打ち出すものだ」
 「核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題だ」
 長崎で面会した被爆者らを「真の英雄」とたたえ、手を握ったグテーレス氏。演説をこう締めくくった。
 「私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう」(核と人類取材センター・田井中雅人)
国連事務総長あいさつ(和訳全文)

 本日、この平和式典において、ご参列の皆様とともに、1945年8月9日に、ここ長崎で原子爆弾の攻撃で亡くなられたすべての方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げられることを光栄に思います。
 今日ここにご参列の皆様、ならびに原爆のすべての犠牲者と生存者の皆様に対し、最も深い尊敬の念を表明します
 ここ長崎を訪問できましたことは、私自身にとっても大変な喜びです。5世紀近くにわたり、私の国、ポルトガルは、この街と深い政治的、文化的、宗教的なつながりがあります。
 しかし、長崎は、長い魅力的な歴史を持つ国際都市というだけではありません。より安全で安定した世界を希求する世界のすべての人にとっての、インスピレーションでもあります。
 この皆さま方の街は、強さと希望の光であり、人々の不屈の精神の象徴です。
 爆発の直後、そしてその後何年、何十年にもわたって十数万もの人々の命を奪い、人身を傷つけてきた原爆も、あなたがたの精神を打ち砕くことはできませんでした。
 広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました。彼らが体現しているのは、破壊された都市ではなく、彼らが築こうとしている平和な世界です。
 原爆という大惨事の焼け跡から、被爆者の方は人類全体のために自らの声を上げてくれました。私たちは、その声に耳を傾けなければなりません。
 決して広島の悲劇を繰り返してはなりません。長崎の悲劇を繰り返してはなりません。一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません。
 ご来賓の方々、ご列席の皆様、児童・生徒の皆さん。
 悲しいことに、被爆から73年経った今も、私たちは核戦争の恐怖とともに生きています。ここ日本を含め何百万人もの人々が、想像もできない殺戮(さつりく)の恐怖の影の下で生きています。
 核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいます。2017年には、1兆7千億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。これは冷戦終了後、最高の水準です。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたります。
 その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています。
 多くの国が、昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示しました。
 また、核兵器以外にも、日々、人々を執拗(しつよう)に殺傷する様々な兵器の危険も認識せねばなりません。
 化学兵器や生物兵器などの大量破壊兵器や、サイバー戦争のために開発されている兵器は、深刻な脅威を呈しています。
 そして、通常兵器で戦われる紛争は、ますます長期化し、一般市民への被害はより大きくなっています。
 あらゆる種類の兵器について緊急に軍縮を進める必要性がありますが、特に核兵器の軍縮はもっとも重要で緊急の課題です。
 このような背景の下、今年5月に私はグローバルな軍縮イニシアチブを発表しました。
 軍縮は、国際平和と安全保障を維持するための原動力です。国家の安全保障を確保するための手段です。軍縮は、人道的原則を堅持し、持続可能な開発を促進し、市民を保護するのを助けます。
 私の軍縮アジェンダは、核兵器による人類滅亡のリスクを減らし、あらゆる紛争を予防し、武器の拡散や使用が一般市民にもたらす苦痛を削減するために、現在の世界で実現可能な様々な具体的な行動を打ち出すものです。
 このアジェンダは、核兵器が、世界の安全保障、国家の安全保障、そして人間の安全保障の基盤を損なうことを明らかにしています。核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題なのです。
 ここ長崎で、私は、すべての国に対し、核軍縮に全力でとり組み、緊急の問題として目に見える進歩を遂げるよう呼びかけます。核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任があります。
 長崎と広島から、私たちは、日々平和を第一に考え、紛争の予防と解決、和解と対話に努力し、そして紛争と暴力の根源に取り組む必要性を、いま一度思い出そうではありませんか。
 平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです。
 原爆の恐怖を繰り返し想起することから、私たちは、お互いの間の分かちがたい責任の絆をより深く理解することができます。
 私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう。
 その目的のため、私は、皆さま方と共に全力を尽くしてまいります。
国際連合事務総長
アントニオ・グテーレス

2017.12.14 新着情報

広島原発で6歳で被爆した2人は「被爆者手帳」を掲げ、「これはヒラヒラと県から上から手渡されたものではない。12年かけて勝ち取ったものです」と。20ミリ撤回訴訟支援の会を8月6日に広島で開きたいと激励した。原発再稼働で日本は終わるさんTwitter ☚click

 新着情報 2017.12.11  

▽ノーベル平和賞:サーロー節子さん「核廃絶の始まりに」 

https://l.mainichi.jp/vEYeRPS   ☚click 毎日新聞

 2017.11.19 新着情報   (青柳信行さんメルマガより)

★ 小松梨津子 さんから:  世論時報11月号です 

 青柳さん、世論時報11月号には、「憎まないで正そう!ヒバクシャの心を土台に世界が導かれている」でヒバクシャの和田征子さんを、私は、取材↓しました。http://tinyurl.com/yc8aro9d

  和田さんには、取材直後の校正中に、ローマ法王が開く「核兵器のない世界と統合的軍縮への展 

望」(10~11日)に被団協が招待を受け、被団協は,ただ一人の代表者に和田さんを選びました。300人くらいの、ノーベル賞受賞者達や、パグウォッシュ会議の方々など、世界平和に貢献した方々ばかりの中で、英語で和田さんは、講演をし、皆さんが涙を流して聞かれ、終わると、全員のスタンディングオーベーションが起こりましたと仰いました。赤旗のサイトには、詳しくあります。世論時報と共に、ごらんくださいませ。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-14/2017111403_01_1.html

新着情報 2017.8.30  

米国でも旺盛に被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えた谷口稜曄さん。 16歳の時、爆心地から1.8キロの路上で被爆。背中が真っ赤に焼けただれ、俯せになった写真と、谷口さんの力強い言葉は原爆投下国の人々の心を揺さぶりました。享年88歳。

合掌  森田隆二さんTwitter ←ーーこちら

朝日新聞 ←ーーこちら

新着情報 2017.8.6

中曽根康弘元首相、

アジアとの戦争は「侵略だった」

HUFFPOST  ←ーーこちら

新着情報 2017.8.7

仲代達矢さんの戦争体験
「空襲警報が鳴って焼夷弾が降ってきた。小学生でもないような女の子が一人で逃げていたので、その子の手を握って逃げ回っていたら急に手が軽くなった。焼夷弾が彼女に直撃してその腕だけ持っていた。恐怖でその手を捨てて逃げた。捨てたことが未だ後悔している」

a rhotographer's Blog   ←ーーこちら

 

←この写真は戦犯の碑       

「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない沖縄県民大会」に呼応する8/12首都圏行動@池袋。集合・解散場所の東池袋中央公園は、巣鴨プリズンの跡地で、戦犯の処刑台跡という場所に石碑があります。木陰が多く、キツイ日差しを避けられて良かった。pic.twitter.com/XDv3Iu8Duq


新着情報 2017.8.13

「戦争の危機、何があっても対話で問題解決を!」~2017ヤスクニキャンドル行動

 

レイバーネット日本 ←ーーこちら

新着情報 2017.8.15

市原悦子が語り続ける戦争体験と安倍政権への怒り

「『国民の命と財産を守る』と言っても空々しい」 

戦争を失くすこと、世界の問題と関わることが、

女優の仕事だと市原悦子は語った 。

KKさんより

                                   LETERAX ←ーーこちら

新着情報 2017.8.15 (青柳信行さんメルマガより)

8/13日、NHKドキュメンタリー -

NHKスペシャル「731部隊の真実~エリー ト医学者と人体実験~」 が放送されました。

再放送は、2017817() 100(50)です。お見逃しなく。(田中一郎さん) 

(録画)NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 

2017813日 170813 - YouTube 

 https://www.youtube.com/watch?v=Qfy5TMbueSM

 

新着情報 2017.8.15

 

「自由な俳句は、平和な時代だからこそ」

古老・金子兜太が語る。

 

           ヤフーニュース ←ーーこちら

新着情報 2017.8.15

「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」20170814    動画 ←ーーこちら

NHKスペシャル 樺太地上戦  終戦後7日間の悲劇
初回放送 2017年8月14日(月)  午後8時00分~8時43分
北海道の北に広がる大地、サハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。

この樺太で終戦後も7日間にわたって戦闘が続き、住民を巻き込んだ地上戦が行われていたことは、

これまでほとんど知られて来なかった。犠牲者は5千人とも6千人とも言われ、

その人数は今なお正確にわかっていない。
最前線に立たされた少年兵、地獄の逃避行で命を落とした幼い子供や母親、

ロシア兵の上陸におびえる女性たちや家族の集団自決も起きた。

重い沈黙を破って語り始めた高齢の元住民たちの証言と国内外の発掘資料から、

知られざる樺太地上戦、7日間の悲劇の全貌に迫る。

新着情報 2017.8.15

 戦時下の東京美術学校(現東京芸術大)で学んだ洋画家、野見山暁治さん(96)は、旧満州(現中国東北部)へ出征した。卒業と同時に戦地に送られると国に決められた学生生活は「あと1年、半年、3カ月--と、死刑執行の猶予期間が刻まれていくようだった」。15日で戦後72年。「あの時の戦争への流れに、なんとなく似たものを感じる」と危機感を募らせている。 

▽洋画家・野見山氏:あの時代と似た空気 嫌な流れ止めねば(有料会員限定)

https://l.mainichi.jp/HH52qgU ☚ 毎日新聞

新着情報 2017.8.15   

太平洋戦争など、246万余の戦死者をまつる靖国神社。自衛隊の活動範囲が広がり、隊員の「戦死」が現実味を帯びてきました。隊員の靖国合祀(ごうし)を心配する声もあがっています。

http://news.asahi.com/c/akj4eba6a5jjkJad  ☜ 朝日新聞

 

新着情報 2017.8.12

高校生集めた核兵器廃絶求める署名が過去最多 国連に提出へ

NHK NEWS WEB  ←ーーこちら

 

tokkoujiさんTwitterより)

新着情報 2017.8.12

痛みを「自分ごと」に 

「原爆の図」と人つなぐ

[平和どう伝えるか 広島・長崎から]6

琉球新報 ←ーーこちら

新着情報 2017.8.10

<長崎原爆の日>「あなたはどこの国の総理ですか」    毎日新聞 ←ーーこちら

新着情報 2017.8.11

悲願の「核兵器禁止条約」採択に喜びと日本政府の対応に怒りを!原爆投下から72年目の広島。『被爆72周年原水爆禁止世界大会』8/6ヒロシマ平和への集い2017「グラウンド・ゼロ(爆心地)のつどい」の参加報告。たんぽぽ舎も参加。

新着情報 2017.8.10

1971年の原爆忌。佐藤首相。

8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフの山下氏が発掘して送ってくれました。

初めて見ました。こんな動画があったなんて。本当にびっくりして、また感激しました。
45年前、時の総理が初めて広島の祈念式典にやってきました。

私はまだ学生。医学部の5年生。何の医者になるかを考えている頃でした。

同時に被爆二世たちと被爆者青年同盟を作って活動していました。
河野美代子のいろいろダイヤリー  ←ーーこちら   (manabu watanabeさんFBより)

 

新着情報 2017.8.9 

長崎原爆の日 核禁止 「批准を」 市長、政府に迫る  毎日新聞  ←ーーこちら

高校生平和大使 長崎爆心地公園で「人間の鎖」     毎日新聞  ←ーーこちら

社説「禁止条約後の原爆忌」核廃絶のリード役たれ  沖縄タイムスプラス ←ーーこちら

 

新着情報 2017.8.8

一昨日、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」に参加した。

メインの講演・永田浩三さんの「ヒロシマの継承と連帯を考える -ヒロシマを伝える-」、

病身をおしての被爆者・小野瑛子さんの「全滅した321人、廣島二中の1年生」、

岡山に避難しながら福島支援を続ける大塚愛さんの「福島から避難して」、

そして歌手の川口真由美さんと沖縄のヤスさんの歌と踊り。

4つがそれぞれ内容豊かで素晴らしいものだった。気を抜くことができなかった。

                       松原康彦さんFBより ←ーーこちら

新着情報 2017.8.8
千葉 道代さんがAlexander Van der Bellenさんの写真をシェアしました。
オーストリアの大統領がこんな記事を書いたそうです。
遠いヨーロッパの人々が、日本の広島、長崎の悲惨さに言及して、核兵器反対を表してくれるのはありがたいことですね。 72年も前のことで、日本人の中にも実際の体験者は少なくなってきました。
だからこそ風化させずに、核兵器廃絶を目指していきたいものです。
Dieses Bild ist zu einem Symbol für das unfassbare Leid abertausender Menschen geworden. Am 6. August 1945 wurde eine Atombombe über der japanischen Stadt Hiros...hima abgeworfen. Wenige Tage später eine zweite über Nagasaki. Das Leid von gestern erinnert auch an das Leid von heute und an die Notwendigkeit von Solidarität für jene, denen geholfen werden muss. Es liegt in unserer Verantwortung. Jetzt. Setzen wir unsere demokratischen Freiheiten ein, um für eine Welt einzutreten ohne Atomwaffen, ohne Atomkraftwerke, ohne Kriege. (vdb)

このイメージは, 人々の信じられない苦痛の象徴になりました. 1945年8月6日, 日本の広島に原爆が投下された. 数日後, 長崎で2回目. 昨日の苦しみも, 今日の苦しみと, 助けを必要とする人のための団結の必要性を思い出す. 私たちの責任よ 今だ 核兵器のない世界への自由の自由を, 戦争がなければ, 核兵器のない世界に自由の自由を置く. (vdb)

新着情報 2017.8.8

人は、核で死んではならない。 広島テレビ

広島に原爆が落ちた8月6日。

ニューヨークタイムズに、広島テレビの広告が掲載された。先輩の仕事。

言葉の一つひとつが届くし、英訳のコピーもとても響く。

世界中の人と思いをひとつにできたなら。

これこそが広告だなと、改めて思う。

阿部広高太朗さんTwitter ←ーーこちら

新着情報 2017.8.7

被爆者「満腔の怒りで抗議」 

核禁止条約に首相触れず   朝日新聞 ←ーーこちら

 

国連事務総長

「被爆者の努力が核兵器廃絶運動に貢献」  

朝日新聞デジタル  ←ーーこちら

☟の写真は 「8.6ヒロシマ平和の夕べ」FBより ←ーーこちら